1831年、北ドイツのハンブルクに生まれたブラームスは交響曲を4曲残しました。時代は19世紀後半、音楽はロマン派、国民、民族派、そして20世紀に向かう流れの中で、彼は古典的で絶対的音楽的な立場を守り、交響曲でもそれを貫きます。第1番(1876年)はベートーヴェンの後を継ぐものとして、構想から20年近く費やし完成された事実は良く知られています。また晩年には、4番に続く交響曲の創作を(ヴァイオリンのチェロのための協奏曲は当初第5番交響曲として考えられたものでした。)との思いもありましが、体力面等から断念された経緯があります。ゆえにこの第4番はブラームスの音楽人生のある到達として、またある意味19世紀交響曲音楽の終着点として音楽史の残る傑作です。
ブラームス51歳の初め、心酔していたバッハのカンタータ第150番「主よ、わが魂は汝を求め」の終楽章の通奏低音による主題をもとに交響曲の作曲をしようかと友人に語ったといいます。そして2年後の1884年夏、ウィーン近くの保養地で本格的にこの主題をもとに第4交響曲の作曲にとりかかります(それは第4楽章の主題として結実します)。創作には2年費やされ1885年夏に完成。10月にドイツ南部のマイニンゲンで当地の宮廷楽団によりブラームス自身の手で初演され、大成功をおさめました。 第1楽章はソナタ形式の楽章、「ため息」主題ともいわれる印象的な冒頭8小節の主題。下行と上行を途切れがちに繰り返し、作曲家の内面を表しているようです。この主題が緊張を高めながら展開されていきつつ、突然に木管によって3連符のリズムに富んだ第2主題が現れこのリズムの上にチェロとホルンによって情緒的な美しい旋律が奏でられます。その後は音楽対話が楽器同士でなされます。そして最初に戻ったかのような展開部。音楽転調しつつ進み、決然とした合奏でピークをつくると、静かな対話に戻って、再現部に移行ここはこれまでの音楽の流れが自然かつブラームス特有の緻密な描写が続きます。コーダは感情の激しさが噴出し、高揚した音楽で終えます。それは人生の困難に突き進むかのようです。 第2楽章はホルンに先導された特徴的な第1主題が奏されます。これは「フリギア旋法」という古い教会の音階に基づいています。この主題がカノン風に楽器により引き継がれつつ様々な対旋律に彩られます。続いてヴァイオリンによりこの主題が変形した美しい旋律が奏され、音楽が発展、それを支えていた3連符の動きで中断すると、優美な第2主題がチェロにより歌われ、様々な動機が絡み合いつつ、再現部ではヴィオラにより第1主題が美しく歌われた後、劇的なクライマックスを迎えます。終結部ではホルンにより最初の旋律が還ってきて静かに楽章を終えます。 第3楽章スケルツォに相当します。しかし3拍子ではなく2拍子なのがブラームス。冒頭の第1主題は全合奏にて明るく快活に始まり躍動感あふれています。これが形を変えつつ、新しい動機を加えて発展していきます。やがてヴァイオリンにより第2主題がのびのびと登場し発展して展開部に突入さらに躍動感ある音楽がすすみますが、静まりをみせるとファゴットとホルンによる穏やかなフレーズが印象的です。その後突然に第1主題が再現され最後まで前へ前へと推進力をもってすすみ、印象的なトライアングルの音とともに力強く結ばれます。 第4楽章はブラームスは自身のもつ音楽の全てを投入して創作した音楽です。冒頭バッハのカンタータに由来する8小節の楽章が奏されると、この主題がおよそ30余の変奏(パッサカリアもしくはシャコンヌとも呼ばれるバロック形式)を展開していきます。しかも全体はソナタ形式のように有機的にまとめられており、交響曲史上の傑作と言われています。この楽章よりトロンボーンが登場し、神の声を代弁するかのように、音楽が厳かに展開していきます。主題は趣向や気分を変えつつ、変幻自在にすすみつつも一本の線のもとにすすみます。第12変奏から中間部(展開部)フルートの哀愁を含む優美な旋律が朗々と歌われ第14変奏からはトロンボーンを主とする管楽器によりコラール風の響きが素晴らしく印象的です。その後主題が再現されると音楽は発展、変奏の妙が聞かれます。動きが激しくなりコーダに入ると、激しく、しかしどこまでもわびしく決然たる意志をもって曲は閉じます。
バッハ;カンタータ第150番「主よ わが魂は汝を求め」より終楽章
苦しみの日々を 主は変えたもう 喜びに
いばらの道を歩むものを 主のみ恵みと力が導く
まことの守り 人の世の十字架に勝たしむ
キリスト わが かたえにありて
日ごと われを勝たしめたもう