ボロディンだったん人の踊り

 

ボロディン;歌劇「イーゴリ公」より「だったん人の踊り」

1833年ロシアのペテルブルグに生まれた。ボロディンは貴族の家に生まれ、医学アカデミーにすすみ外科医、化学者研究者として仕事に励む傍ら幼少よりピアノに親しみ、30歳頃より作曲レッスンも受けつつ、音楽創作にも精力を傾けます。多くの室内楽を生み出すとともに1869年には交響曲第1番を1880年にはよく知られる「中央アジアの草原にて」等の傑作を世に出します。そして彼の代表作が、創作に18年間を費やした(かつ未完;リムスキーコルサコフとグラズノフにより完成)この歌劇「イーゴリ公」なのでした。彼の作風は19世紀後半ロシア音楽の特質を表します。すなわち西洋音楽の世界にロシアの民族音楽、特に東洋的(オリエンタル)な要素を取り入れた新境地を開いたものでした。
「イーゴリ公」の原作は中世ロシア文学の傑作「イーゴリ軍記」で、1185年実在の君主イーゴリが東方の異民族(ボロヴェツ人)の討伐遠征をした史実に基づきます。第2幕の末尾では、敵陣の捕虜となったイーゴリ公とその息子の前で踊りが次々と披露され、その音楽が「ボロヴェツ人の踊り」で、日本では「だったん人の踊り」の通称でしられ、親しまれてきました。  曲は冒頭情感豊かに始まり、オーボエ、イングリッシュホルンで導かれる望郷の歌「私たちのふるさとの歌よ、風の翼でふるさとまで飛んでいけ」が歌われます。続いて男たちの軽快かつ激しい舞踊の音楽が奏でられ、一旦静まるとティンパニに先導された力強い3拍子でボロヴェツの君主コンチャクハーンを讃える音楽が厳かに響きます。その後少年たちが馬で草原を駆け回るような軽快な舞曲を経て、再度望郷の調べが戻ってきます。これらの要素があいまってクライマックスへ向けて盛り上がり、最後は華やかに終わります。