ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番


ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18

1873年ロシア貴族の家庭に生まれたラフマニノフは手厚い音楽教育を受け、ペテルブルク音楽院でピアノ、作曲を学び、チャイコフスキーとの出会いもあり順調な音楽家人生を歩みだしましたが、1897年に初めて世に問うた大作「交響曲第1番」の初演が大変な不評を浴び、作曲への自信と意欲を失い精神的不調に陥りました。そこでモスクワの精神科で治療を受け、数年で音楽家としての自己を取り戻し、作曲を再開、1900年に着手され、翌01年完成、初演されたのがこの「ピアノ協奏曲第2番」であり、まさにこの曲が彼の名を不朽のものとする名作となったのです。この後に音楽家としては順調に歩みますが、ロシア革命による祖国の政治、社会、文化の不安定さから、ロシアを離れる決意をして、1922年からはアメリカを本拠地として、世界的なピアニストとして活躍、作曲も引き続き行ない、名声に包まれつつ1943年に亡くなります。
このピアノ協奏曲は先述のように精神的不調からの復調の証として作曲されたこともさることながら、彼の全ての作品にみなぎるスラブ的メランコリーが美しい旋律と特有のリズムでピアニズムの極致を生かしてオーケストラと共に表現された、最上、最高の楽曲といっても過言ではありません。
第一楽章は冒頭ピアノがロシアの鐘の音のような荘重な序奏を奏で、続いてオーケストラにより憂愁を込め、かつ力強い第1主題を奏します。それを受けてチェロにより推移の主題の後、ピアノが超絶技巧的に発展し、ともにオーケストラも盛り上がったのちに、ヴィオラによる思い入れのあるフレーズに導かれてピアノが優しく甘美な第2主題が奏されます。この2つの主題が劇的に展開発展しクライマックスを迎えると、再現部を経て、終結します。この間独奏ピアノは高度の技巧を駆使しつつ、オーケストラと終始一体感をもってすすむことで、交響的印象を生みだしています。 第二楽章は弦楽により神秘的に始まり、ピアノ独奏を呼び入れます。ピアノのよるアルペジオの上にフルートが甘美な主題を奏し、これがクラリネット、ピアノ、ヴァイオリンと受け継がれていきます。中間部はテンポがあがりピアノが哀感に満ちた旋律を奏すると、音楽は加速し、オーケストラの一撃を合図に、カデンツァに入ります。そして冒頭の主題がヴァイオリンにより美しく、かつ思いを込めて歌われ、静かに終えます。 第三楽章、冒頭はおどけた行進曲風の旋律で始まります(実は第一楽章冒頭の主題の変形です)。やがて独奏ピアノがこの主題をまとめると、オーケストラとヴィオラで憂愁に満ちた有名な主題を奏します。ピアノがこの主題を歌い上げて後、曲はこの二つの主題、そして他の楽章で使われた旋律を取り入れ変奏しつつ自由に発展していきます。最後のピアノのカデンツァの後、全合奏により音楽が融合し最高潮に達した後に決然と全曲を終えます。
この作品はメロディーの宝庫で映画やポピュラー音楽にも取り入れられ親しまれるとともに、フィギュアスケートの曲としてもしばしば用いられているのはご存知の通りです。現在ピアノ協奏曲の最高峰かつ、最も人気のある曲として広く親しまれています。