ピアノ協奏曲の中でも最も有名で、親しまれている曲であるこの作品は、チャイコフスキー30代半ばでモスクワ音楽院の教授として活動する一方で作曲家としても名を馳せつつあった1874-75年に生みだされました。この自信作を音楽院院長であったロシア随一のピアニストでったルビンシュタインに意見を求めたのですが、彼の答は「価値がなく演奏不能、全部書き直せ」というもの、憤慨したチャイコフスキーは結局そのままの形でドイツの大ピアニストハンス・フォン・ビューローに送ったところ、ビューローは絶賛しアメリカ演奏旅行で初演。これが世紀の大成功をおさめたというお話しがついている作品でもあります。(後にルビンシュタインも自己の認識を改め、好んで演奏するようになりました。またチャイコフスキーも人々の助言をいれて曲の改訂をしています)
第一楽章はホルンの特徴あるファンファーレに始まる実に堂々たる序奏に始まりますが、この壮麗な旋律は以後再現されることはなく、独立しています。続く主部はウクライナ民謡を変化させた主題が劇的に発展していきます。続いてメランコリックな第2主題がバイオリンで奏され、ピアノが受けて歌います。展開部ではオーケストラとピアノが対話をしつつクライマックスを形成した後に主題が再現されます。そしてカデンツァは技巧と美しさが兼ね備わったピアニズムの極致。最後は雄大なコーダで楽章を閉じます。
第二楽章はフルートが提示する叙情的な主題に始まる美しい緩徐楽章。ピアノとオーケストラが優しく語り合いますが、中間部はスケルツォ風の急速で軽快な音楽、この主題はフランスのシャンソン「さあ、楽しんで!踊って歌わなくては」の引用です。チャイコフスキーが思いを寄せたメゾ・ソプラノ歌手デジーレ・アルトーの愛唱歌で、彼女への愛が込められています。
第三楽章はロンド形式によるドラマティックな楽章で軽妙な第1主題はウクライナ民謡「さあ、イヴァンカ、おいで!」によります。対して情感豊かで美しい第2主題が弦により奏され、民族的なエネルギーと西欧協奏曲の結びつきが力強い展開を繰り広げます。最後は輝かしいコーダに至り、圧倒的な盛り上がりのうちに終えます。
このように民族的な性格を全体の基調としつつ、独自の形式をもち、躍動するリズムと美しい旋律で聴くものの心を揺さぶるこの名曲は、まさに当代一のピアノ協奏曲です。